38『そして最終段階へ』



 道が重なる。
 時には平行に、あるいは遠ざかった二つの道が。
 交わった先は一つの道。
 ただ一つの結果。

 光が見える。
 一つずつ昇った階段の先に見える出口の光が。
 最後の一段の先は光の中。
 そこに何があるのかは未だ見ることは適わない。



 魔導研究所行政部管制エリアは基本的に棟ごとの管制室に分けられて配置されている。第四管制室はその中で魔導学校棟を管理監視する為にある部屋だ。
 計画の第二段階においてディオスカス自身やガナンなど数人の例外を除くと、基本的に制圧状態を維持し、ディオスカスがこの研究所の“宝”を手に入れて来るのを待つだけ、平たく言えば退屈な段階であり、この部屋にいた二人の魔導士はもっぱら会話を楽しんでいた。

「おい、今何時だ」
「そろそろ赤橙(せきとう)の刻(午後四時半)ってところだな。計画通りならもうすぐディオスカス様から連絡が入るはずだ」

 一人の質問に、壁に掛けてある時計を見てもう一人が答える。

「なあ、ウォンリルグに行ったら俺達どうなるんだ?」
「基本的に今までと変わらんだろ。ディオスカス様についていくだけさ」

 ディオスカスの計画は、ウォンリルグに脱出するまでで、その先の事は論じられていない。ただ、クーデターの計画を立てる段階でディオスカスの口から聞いた、魔石の豊富なウォンリルグで新たな魔導文明の黄金期を造り上げる、という話からするとウォンリルグに新しい魔導研究所を作るつもりなのだろう。

「しっかし、男ばっかりでムサいのはいただけないな」
「あっちにもいい女の一人や二人くらいいるだろ。それに家族を捨ててく奴が言ってたんだが、うまくいけばあっちに家族を呼ぶことくらいはできるらしいぜ」
「何にせよ夫婦共に開発部に勤めているやつが羨ましいな」

 無論、開発部や魔導士団の全員が独身と言うわけではない。今回ディオスカス達に協力するものたちの約半数は結婚し、家族を持っている。が、今回の亡命でその家族を連れて行くことは出来ないと言われていた。
 ディオスカスに言わせると、家族も含めると足手纏いが多すぎることになる上、計画の秘密が漏れる恐れもあるということだった。

「物価とか、品揃えとかはどうなんだろうな」
「ウォンリルグは資源が豊富だって言われているから案外安いかもしれないぞ? ただし魔導器関連はあんまり充実していないだろうなぁ。あっちは遅れてるっていう話だし」

「いや、案外こっちよりずっと進んでいるのかもしれない」

 最後の背後から聞こえた声に、話していた二人は驚いて振り返った。そこにいたのは明らかにディオスカスの一派には入っていない人物だろう。魔導研究所内で、彼、行政部長エイス=マークシオの顔と名前は割と広まっている方である。
 入り口には見張りが立っているはずだが、何故気付かれもせずにここまで入り込んでこられたのか。
 その答えを得られる前に、二人の意識は吹き飛んだ。


「どのみち、君達にウォンリルグに逃げ込ませるわけにはいかなかったわけだが」

 意識を失い、足下に転がった二人の魔導士を見下ろしながら独り呟く。
 とりあえず部屋の外に出たエイスの耳には騒々しい物音が入り込んできた。見ると、入る時には扉の脇に立っていた見張りの魔導士がいない。そんなエイスの元に一人の魔導士が吹き飛ばされてきた。エイスの記憶が確かなら、この魔導士が見張りの魔導士だったはずだ。
 吹き飛ばされてきた方向に目をやると、何人もの魔導士が、歳若い魔導士と同じく歳若い、軽甲冑に身を包んだ女性魔導騎士という二人の侵入者を迎え撃っている。いま吹き飛ばされてきたのも、そうして迎え撃ち、返り打たれた一人だ。
 まだ争乱は続いているものの、戦闘はほとんど終わっており、何人もの魔導士達があたりに転がり、残った魔導士達が撤退を叫んでいる。

 廊下に静寂が訪れ、一息付いた後で自分達を眺めて待っているエイスの姿に気が付いたのだろう、侵入者の片割れである魔導士、カーエスが戦闘直後とは思えないほど呑気な声で声を掛けた。

「ああ、もう終わっとったんですか。《不可視》っちゅうのも便利な魔法ですなぁ」

 今回のクーデターでは、限られた人数で広い魔導研究所全体を掌握しなければならなかったので、この管制エリアの制圧は最優先で行われ、配置されている魔導士の数も他のエリアより圧倒的に多い。
 それでもカーエス達には突破出来る自信はあったが、そんな状況では戦闘が大規模になってしまい、必要な機器まで巻き込まれて壊れてしまうことになる。そこで、対象の姿を消すことが出来る魔法《不可視》で姿を消したエイスが先に目的の部屋に忍び込み、穏便に事を片付けるのと同時にカーエス達が作業の邪魔になりそうな他の部屋の魔導士を倒しておいたというわけだ。

「さて、しばらくは邪魔が入らないでしょうし、始めましょう」

 ジェシカの声に、エイスとカーエスは頷き、第四制御室に入った。


 第四管制室は、魔導学校の主要な場所を映す投影器が沢山あり、その下には様々なものをコントロースする制御盤がある。エイスはしばらくその制御盤を見て回っていたが、やがて魔導学校の閉鎖用隔壁を操作する装置を見つけると、その前に座る。
 ジェシカは万が一邪魔が入った場合に備え、部屋の外で見張りに立っている。
 残ったカーエスは手持ち無沙汰になり、エイスと同じように幾つかの制御盤を見回っていたが、やがてあるものを見つけて作業中のエイスに声を掛けた。

「エイスはん、俺一応、“伝声器”で誰か呼び掛けてみようか思うんですけど」
「ああ、それはいい考えだな。今の段階で連絡がとれれば、後の事がずっとやり易くなる」

 了解、とカーエスは頷いて“伝声器”のチャンネルを魔導学校の学生ラウンジに合わせた。非常事態にはそこで集まり、待機することとして一応の訓練がなされていたからだ。
 回線を開き、話し掛ける。

「こちらは行政部第四制御室。応答を願う」
『こちら魔導学校学生ラウンジ。用件を伺う』
「あ、通じとる」

 意外にすぐに返事が返ってきたため、カーエスが思わず驚きの声を漏らす。
 その声を聞きとったのか、相手の方が続けて尋ねた。

『その訛りはカーエスか?』
「あ、その声はシューハ先輩?」

 カーエスは見知った声に反応する。

 シューハ=ランドー。カーエスより四年上の先輩にあたる魔導学校の生徒である。そしてあることでとても有名だった。それは十三年前までファルガール=カーンの受け持つ教室の一員だったからだ。
 ファルガールが魔導学校を去った後、シューハやクリン、クランといったファルガールの生徒達は別の教室に引き取られ、またその後の一師一弟制への移行に伴う混乱によって、大半は魔導学校の外に出て行った。
 それでもシューハとクリン、クランを含み、五人ほど生徒として学校に残っていたが、彼等のほとんどはファルガールの考え方に深く共感しており、ファルガール派と呼ばれた。
 その中で、独自に“双魔導”という非常に珍しい魔導形態を完成させ、教師の資格を得てファトルエルの決闘大会に出場する栄誉を受けることが出来たクリン=クランを除き、ファルガール派の生徒達は、十分な実力があるにも関わらず、ファルガールを疎んでいた元魔導学校長ディオスカス=シクト、そしてその腹心の部下であるドミーニク=バージャーによって教師になることも、上級魔導士の資格をとることも出来ずに、最年長の生徒として今も魔導学校にいる。

 そんな不遇の扱いを受けていても決して腐らずに、いろいろ教えてくれたシューハはカーエスにとって恩のある存在であり、師のカルクに次ぎ、尊敬の出来る人物だった。

『やっぱりカーエスか。返ってきたとは聞いちゃいたが、何でお前がそこにいる?』
「いろいろあったんですよ。それより、そっちの状況はどないです?」
『ああ、いつでもいけるぜ』

 あっさり返ってきた答えに、カーエスは一時言葉を失ってしまう。

「え? どないな意味です?」
『だから、そっちから封鎖を解いてくれるんだろ? そしたら魔導学校のみんなでディオスカスの奴らを迎え撃てるだろうが』

 そういって、シューハは魔導学校の全ての生徒が学生ラウンジにあつまり、シューハ達ファルガール派がそれを纏めているというのである。
 闘う生徒も既にシューハによって選抜されていた。下級魔導士以上の資格を持つもので、実践訓練に十回以上出たことがある生徒を選び、三十名ほどいる、とシューハは言う。
 今は、それぞれの使える魔法、得意な戦法などを一人一人から聞きながら、作戦を練っているところだったらしい。

 それを聞いたカーエスとエイスは思わず顔を見合わせた。魔導学校の中は思った以上にいい状態だ。

『おい、聞いてんのか?』
「ああ、すんまへん。何か望みが見えてきたなぁ思いまして」

 そう言って、カーエスは今のところ分かっている状況をすべてシューハに知らせる。

「ここには行政部長のエイスはんもおるんです。もうすぐ封鎖を解きますけど、姑くはそこを動かんといて下さい。こっちもできるったけ仲間つれて向かいますんで」
『了解だ』


 エイスによって、魔導学校の封鎖を解かれると、彼等はもう一度動かされることのないように制御盤を破壊し、三人揃って医務室に戻ってきた。

「あ、お帰りなさい」と、医務室に返った三人を迎えたのはミルドである。その隣にはティタも座っていた。
「ティタはん、ミルドはん、無事やったんですか」と、嬉しそうにカーエスが二人に駆け寄る。

「まあ、なんとかね」と、ミルドが自嘲じみた笑みを浮かべて答える。そして、自分達にあったことを事細かに説明した。
 カーエス達は基本的に静かに聞いていたが、流石にミルドが魔導士、それもよく話に聞く“風魔”だったというところでは声を挙げて驚いた。

「まあ、そんなわけで、戦闘をする時には僕も参加します」
「それは願ったり適ったりだな」と、静かにエイスが答える。

 カーエスは噂程度にしか聞いたことがなかったので、真偽の別も付かないが、エイスは違う。要請を受けて、そこに魔導士達を送り、報告を受けるのは行政部の仕事である。そうやって、“風魔”ミルド=エーヴィスに関する報告を実際に受けたので、実際に現場に行った魔導士達には適わないものの、彼の強さはか鳴りのレベルで実感しているのだ。
 カーエス、ジェシカ、ミルドと、一騎当千に値するようなとび抜けた実力を持つ魔導士に加え、魔導学校の生徒達の戦力。可能性は高まるばかりだ。

「で、そっちはどうだったんだい?」
「上々でしたよ」と、カーエスがシューハから確認した魔導学校の様子を語る。「そんでこれからみんなで移動しよう思うんですけど」

 カーエスの提案にジッタークが質問を挟んだ。

「それはええけど、俺とかリクはついてった方がええかな?」
「連れて行きましょう。リク様はもう治療の要る体では無くなっていることですし、それなら全員固まった場所にいた方が」

 ジェシカが答えると、全員が頷く。

「ほな、リクは俺がおぶっていったるわ」
「いや、ワシの方がええやろ。万が一敵に遭ってもうたら適わんし」

 リクを担ぐと、自動的に戦闘力が奪われることになる。となると、戦力でないものが担ぐというジッタークの提案は当然の事だろう。
 しかし、そんなジッタークにカーエスは笑みを浮かべて答える。

「大丈夫、大丈夫。どのみち両手使えんかったって魔法は使えるし、ここには他にもようさん強い人はおるしな。いざとなったらいつでも落とせるし」

 そう言って、カーエスは寝台に眠ったままのリクに近付き、その顔を覗き込む。先ほどまでの苦しみようはどこへやら、遊び疲れた子供のような無邪気な寝顔を曝し、安らかな寝息を立てている。
 カーエスは、彼の腕を引き、背中に担ぎ上げようとした時、思わず膝を下り、床に身を崩しそうになった。

(疲れとるんか……俺?)

 思えば、リクが倒れてから今まで走り通し、闘い通しだった。気が付いてみると、全身の筋肉が悲鳴を上げ、精神は頭痛と共に休息と睡眠を要求している。そういえば、昼食も食べそびれたままだ。
 ふと、ジェシカに目をやった。カンファータ魔導騎士団の訓練の賜物か、彼女は相変わらず凛々しく直立の姿勢を保っているが、心無しか表情の覇気が薄れているような気がする。彼女も、今回はカーエスとずっと一緒に行動していた。白兵戦を得意とする分、肉体の疲労はカーエスとは比べ物にならないはずだ。

「……ったく、クソ忙しい時にぐーすか眠りよって……」と、カーエスは肩に乗ったリクの頭を振り返って毒づいた。そしてしっかりとリクを担ぐと、医務室のドアに向かって歩き出し、その後に、他の者達が続いた。

(まあ、精々身体休めてろや。おんどれが起きるまでは何とか俺らが頑張ったるから)

 何故だろう、とカーエスは自問する。
 リクが無事でいる限り、希望が続いている気がする。諦める気にはなれない。
 精一杯粘っていれば、いつかリクが全ての絶望を払ってくれる気さえするのだ。


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「……そうか」

 アルムスが“ラスファクト”を納めた、セーリアの心臓部の扉のロックを解除をするために作業をしている横で、ディオスカスは受けた連絡に眉をぴくりと反応させた。

「何かあったのかね?」

 投影器の映像から目を離さずに尋ねてみる。

「魔導学校の封鎖が解かれたらしい。実行犯はどうやらエイスとカーエス=ルジュリス、あとはジェシカとかいう女魔導騎士らしいな」

 先ほどの連絡は襲撃を受け、撤退中の魔導士からだった、とディオスカスは告げた。
 聞いても無駄だと思い、駄目で元々のつもりで尋ねたのだが、答えてくれるとは思っていなかったアルムスは、頭の中で情報を整理する。

「魔導学校の封鎖が解かれたということは……」
「魔導学校の生徒達を相手にしなければならない」

 ディオスカスは、代わりに結論を言うと、ククク、と喉の奥から笑いを漏らした。
 その反応が理解出来ずに尋ねる。

「何故笑う? 予定通りには行かなくなったと言うことだろう?」
「確かに、多少苦労をすることにはなるかもしれない。だが、上手く行き過ぎるのも詰まらんと思っていたところだ。それより、手を止めないでいただけるかな?」

 ディオスカスの言葉に、アルムスはむっとして言い返す。

「パスコード解除は全て終わって、今は全ての魔導を停止しているところだ」

 後一分も待てば終わる、というアルムスの言葉に、ディオスカスは満足そうに頷いた。

「余裕ぶっているが、いいのか? 魔導学校の生徒の質は意外に高いぞ」

 知らないわけがない。仕事上の関係から言えば、元校長であり、今もその校長を腹心においているディオスカスのほうが、アルムスより生徒に近いのだ。魔導士団を仕切っている以上、将来の戦力になる生徒達の能力は把握していて然るべきだ。

「構わん。魔導学校の未熟な生徒ごときに負けるような奴は必要無い。人材など向こうにいくらでもいる。丁度いい淘汰の機会だ」
「淘汰で済むと思っているのか?」

 今、あちら側にはカーエス、ジェシカに加え、エイスがいる。それを軸に魔導学校の生徒が相手になるのだ。十分勝機があると言える。
 すると、ディオスカスはにやりと笑って答えた。

「済むとも。最低でも私一人は残る」

 何とも不敵な断言に、アルムスは言葉を繋ぐことが出来なかった。
 ディオスカスの魔導士としての強さは本物だということはアルムスも知っている。“冷炎の魔女”マーシア=ミスターシャ、“完壁”カルク=ジーマンがいない今、疑いようもなく彼が魔導研究所最強の魔導士だろう。
 しかし、そんな魔導士でもズバ抜けた腕を持つカーエスやジェシカ、エイスを同時に敵に回して勝てるものなのだろうか。

 その時、不意に静寂が訪れた。元々この空間には大掛かりな魔導の為に生じる小さいが重い音が常時響いていたのだが、それが止まったのだ。同時にあちこちの光が消え、部屋の薄暗さが増す。
 長きに渡ってエンペルファータを守り続けてきた、都市対象万能障壁構成魔導器“セーリア”の、史上初の運転停止だった。

「御苦労」

 ディオスカスは、大股でセーリアに歩み寄ると、その正面に立った。目立たないが、そこには四角い切り込みが見え、取っ手のようなくぼみが真ん中に付いている。

 ディオスカスはそれに手をかけると、その扉を観音開きに開け放った。中からは白い煙が漏れ、その中心には、メダルのような形をした空色の宝石が輝いている。

「これが“ラスファクト”《テンプファリオ》か……」と、ディオスカスは慎重にその宝石に手を伸ばし、手のひらより二周りほど大きなそれを手にとった。
 “ラスファクト”からは湯気のように、光が立ち上っており、この宝石が先ほど扉を開けた時に出てきた煙の源だったと知れる。そしてその煙はこの魔力溢れる存在から漏れ出ている魔力が具現化したものらしい。
 一見する限り、この“ラスファクト”の残留魔力のことで、この間まで悩んでいたとは思えない。
「枯渇しかけていても、そのあたりはそこらへんの魔石とは違うな」

 ディオスカスはそれを、腰に下げていた袋の中に入れる。“ラスファクト”は魔力に触れると大災厄を呼ぶという報告を聞いたことがある。おそらくその袋は魔力を通さない“断魔布”で出来ているのだろう。
 そして、動力源を失ったセーリアには欠片ほどの興味を持たないと行った感じで背を向け、つかつかとアルムスの元に戻ってくる。

「欲しいものは全て揃ったわけだが、これからどうするつもりだ?」

 ウォンリルグへの亡命と行っても、エンペルファータさえ無事に脱出できれば終わるものではない。北に向かい、ウォンリルグへの国境を越えてこそ完了するものだ。エンペルファータを抜けても、あちらに付くよりは早く各国首都、そしてフォートアリントンに連絡をすることが出来る。

「取りあえずは気ままに列車旅などをしようかと」

 魔導列車を使ってウォンリルグに向かうということだろうか。確かに大人数で移動するには列車は効率的だが、その分ルートが限られてしまうので、先回りは容易になってしまうのだが。

「ですが取りあえずは」と、ディオスカスは続けて答え、アルムスに笑いかけた。「用済みになったあなたに死んでいただこうか」

 アルムスが言葉の意味を理解するより先に、ディオスカスの手が彼の頭を掴む。
 そして彼が反応する前に、ディオスカスは掴んだ手のひらから魔法を放ち、アルムスの頭が吹き飛んだ。


 びしゃ、と足下の血溜まりの中にエンペルファータ市長兼魔導研究所所長という肩書きをもつ死体を放り捨てると、ディオスカスは制御盤に近付き、“伝声器”を起動させ、全所内放送に設定して告げる。

「ディオスカス=シクトより、同志諸君に告ぐ。今を持って計画の第二段階を終了する。続いて、最終段階に入る。抵抗勢力による邪魔が予想されるが、一切相手にはせず、第七地点に集合することを優先すること」

 ディオスカスはもう一度繰り替えして言うと、“伝声器”を切り、踵を返して引き返そうとする。その途中に、アルムスの死体があり、彼はそれを見下ろして呟いた。

「“全ての過去を背に、我は無に身を投ず”」

 昔、他国に亡命した詩人は、自分の行為をそう言い表したのだが、ディオスカスは上手いことを言ったものだと思う。
 エンペルリースの帝都に生まれ、才覚を現わしてエンペルファータにやってきて以来、今日まで続く自分の歴史はここで一度終わる。そして、未知の土地に待つ未来は予想し得ない全くの“無”。光でもない、闇でもない、無。
 ディオスカスはそれでもいいと思う。
 後ろを向いて横に歩いていた現状を捨て、無に光を信じて前に進むこと。
 それが、彼等の望みなのだから。

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